kaka’s diary

双極性障害のかかちゃん

昔のかかちゃんと家族

小・中・高と仲良しな友達は居たけど、いじめにあってたからあんまり楽しい学生生活ではなかってんよ。

 

性格は明るいしお喋りも大好きやった。

 

せやけど、学校に行ったら辛い時間が待ってるから、塞ぎ込んだまま過ごしてたんを今も覚えてる。

 

たださ、嫌な事は何故か記憶から消えるから、何となくでしか覚えてない。

 

数人はそんなこと関係なく仲良くしてくれてた子が居たから、そんなに酷くはなかったんやろうけど、やっぱり心の傷にはなってるねん。

 

そんなこともあってか、中学生くらいまでは家が大好きやった。

けど、色んなことがわかる年齢になってきたら、家族が嫌いになってしもた。

 

なんでかって言ったら、嫁姑問題と家族の問題。

 

お母さんの出身は関東方面で、20歳の時にはこっちへ来てお父さんと結婚。

おばあちゃんはお母さんが中学生の頃に亡くなったんやって。

だから、お嫁に来てお父さん方のおばあちゃんとおじいちゃんを両親のようにしたってたらしい。

実際、おじいちゃんがお母さんを気にかけていたのは幼いながらにも感じてたわ。

 

けど、私が中学生くらいになってきたら、大人の事情や見えていなかったものが見えてき出した。

 

お母さんに対する、おばあちゃんとおばさん達(お父さんの妹)のいじめ。

おじいちゃんが、私が中学生の頃に亡くなってから酷くなった。

詳しくは書かないけど、それは酷いものやった。

 

泣きながらお母さんに『一緒にこの家を出よ!』って、言ったこともあった。

けど、お母さんは『ここのお墓に入ることを決めてお嫁に来たんよ。おばあちゃんがもし介護が必要になればお母さんが見なきゃダメやから。』って、言われた。

その時の光景は今でもはっきり頭にこびりついてる。

その時はお母さんの事が全然理解できなかった。

 

その後、お父さんに説明して『お母さんを助けてよ!』って、お願いしたこともあった。

けど、お父さんは『お前が家に居てお母さんを助けたったらえぇやろ』って、言われて絶望した。

 

その後も色んなことがあったけど、私の力では何も変えれなかった。

 

20代はお風呂入るだけのために家に帰るだけで、

仕事に行っては朝まで遊ぶ生活をしてた。

だから、両親の顔も全然見なかったし、口も聞かなかった。

 

両親と関係が変わったのは、結婚してから。

両親の事を理解出来たわけでは無いけど、自分の酷い生活を反省して感謝の気持ちを表せるようになった。

 

それからおばあちゃんが亡くなったん。

お母さんは昔言っていたように、一生懸命おばあちゃんの介護をしてた。

半身不随やアルツハイマーもあったり、食事が出来ないから胃ろうもしてた。

もちろんトイレも行けなくてオムツ生活。

 

おばあちゃんが幸せで居れるよう、完璧な介護をしていたと思う。

 

私はお母さんをいじめるおばあちゃんが大嫌いだった。

小さい頃は優しくていつも綺麗なおばあちゃんが大好きだったのに。

 

介護されていた時のおばあちゃんは、凄く優しい顔をしていた。本当に。

 

なんでもっと早くあの顔をお母さんに見せてくれなかったのかと今でも思う。

 

それまでは家族に尽くし、専業主婦を一生懸命にしていたお母さん。

おばあちゃんが亡くなって、介護生活も終わった。

 

今の両親は、昔みたいに自慢出来る夫婦。

今の両親は、昔みたいに憧れの夫婦。

 

まーた話がそれてるわw

 

思えば病気が発症したのは26歳やったけど、子供の頃のトラウマ要素もあったのかもって思う。

 

今はお父さんもお母さんも大好き。

 

いつも気にかけてくれて、困った時は全力で助けてくれる。

 

もースネをかじる年齢でもないし、私が両親を助けなきゃなんないんやけどさ。

 

お父さんとお母さんに何かあった時、あたし頑張れるかな…耐えれるかな…

考えるだけで涙が滲む…

 

ではでは、今日はこの辺で。ほな✋

 

ととちゃんブログ

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ガーデニングしてた時の花壇。